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稀風社ブログ

稀風社は鈴木ちはね(id:suzuchiu)と三上春海(id:kamiharu)の同人誌発行所です。

【告知4】歌集『さよならが来るのを待っている君へ』委託開始のお知らせ

 おはようございます。id:kamiharuです。

 第十四回文学フリマで頒布しました稀風社の歌集『さよならが来るのを待っている君へ』、これまで何度か各方面にて「委託を計画している」とお知らせはしていましたが、いよいよ、ある程度情報がまとまりましたので今回はそれについてお知らせしたいとおもいます。

 今回の記事でお知らせする内容は以下の3つです。

【1.実店舗での委託販売】
【2.通販はできるのか】
【3.電子版の公開について】

 以下、順を追って説明します。


【1.実店舗での委託販売】
 まず第一。
 東京都は中野区にあるタコシェ様にて、歌集を委託販売させていただくことになりました。

タコシェは東京・中野にある、自主制作の本やジン、一般流通にのらない書籍、インディーズ系CDや映像、絵画、雑貨etc.をお取り扱いするショップです。展覧会やイベントも行なっています。
[店舗ページトップより]

 店舗ページ(Welcome to TACO ché - ようこそタコシェへ - , http://tacoche.com/)によりますと、最寄り駅は「中野駅」、中野ブロードウェイなる建物の三階にあるらしいです。アクセス方法は上記店舗ページの「アクセス」にとても詳しく書いてありました。ご参照を。

 店舗に行けば、実はもうすでに、『さよならが来るのを待っている君へ』は委託販売されているらしいです(委託に関係する手続きはすべて私ではなくid:suzuchiuさんが担当しているため私自身は未確認です。情報があやふやでもうしわけございません)。
 頒価は文学フリマ当日と同じく500円(これに消費税が加わります)となっています。
 東京圏に住んでいて、文学フリマに行きたかったけれども当日行けなかったというかたは、この機会にぜひ、中野まで足を運んでみてはいかがでしょうか。
 (なお、店舗への委託数はあまり多くないため、場合によっては店舗へ赴いても在庫がないかもしれません。おそらく後日が復活するかとおもいます。ご了承ください)


【2.通販はできるのか】
 続きまして通販について説明します。
 ネット通販ですが、上記店舗ページには「オンラインショップ」なるものがあるのですが、id:suzuchiuさんが確認したところ、現時点はそれを通じて購入することはできないそうです。
 ツイッターにて私に「通販ができるのであれば買いたい」とリプライしてくださったかたが多かっただけに、とても残念におもっています……。

 ですが、通販が全くできない、というわけではどうもないらしいです。
 これもid:suzuchiuさんが確認しましたところ、タコシェ様に直接問い合わせていただければ、個別に通販することが可能であるらしいです!(別途手数料がかかります)
 詳しくはお手数ですが、タコシェ様の問い合わせフォームにて各自でご確認ください。

問い合わせフォーム http://tacoche.com/?page_id=1040

(2012/6/8追記:問い合わせフォームからでは応答が遅い場合があるそうです。その場合、タコシェ様のツイッターアカウント(@tacoche)から、もしくは直接電話する、などの手段によって連絡をとってみてください。これらの手段により直接問い合わせることで通販が可能になった、というケースがありました。)

 大変に手間であるとはおもいますが、ぜひとも、直接手にとってご覧いただきたい、とねがっています。

 現時点で、書籍として『さよならが来るのを待っている君へ』を購入できるのは、以上の二つの手順を経てのみとなっております。


【3.電子版の公開について】
 さて最後に、電子版の公開についてご案内します。
 以前歌集のお試し版を「パブー」にて電子版として公開したことがあります。

試作品歌集『稀風』
http://p.booklog.jp/book/38803
(※『さよならが来るのを待っている君へ』はこの試作歌集を大きくふくらませるような内容になりました)

 以上【1】【2】に実店舗での委託について記述しましたが、通販も可能ではあるものの、基本的に、歌集を購入できるのは東京圏にお住まいのかたのみとなってしまいました(文学フリマでの頒布もまた基本的には、文学フリマというイベントの性質上、東京圏に住んでいるかたを対象としていました)。
 しかし、東京は決してすべてではない、という問題があります。
 委託以外の方法によって歌集を東京以外の読者へ開いておくことはできないだろうか、と考えました。


 さてそこで、今回パブーを利用しまして、『さよならが来るのを待っている君へ』の電子版を、文学フリマで頒布したのとほとんど同じ形で、無料公開したいとおもいます。一部のみ公開で残りは有料、というかたちはとりません。また文学フリマで頒布した歌集から一部内容を削除する、というかたちも(誤植等の修正をのぞけば)とらない予定です。
 文学フリマに参加できなかったかたにも、また、東京に行けず実店舗にて購入できないかたにも、ぜひともこの機会に『さよならが来るのを待っている君へ』を読んでいただきたくおもいます。


 以下のパラグラフ(囲ってある部分)は余談です。告知とは関係ないため、読み飛ばしていただいてかまいません。

 電子版を無料で公開するのはすでに歌集を有料で購入した方にとって好ましくないことなのではないか、とも考えました。そして実際電子版の無料公開は、書籍版購入者のみなさまに対して、明らかに不誠実なことであると認めます。
 ですがそのうえで私は、電子化を是と考えています。もうしわけございません。
 以下、この件についての私の弁明を書きたいとおもいます。
 文学フリマで直接、私たちの歌集を購入してくださったかたがたがいます。大変にありがたくおもっています。ですがそれ以上に私は、文学フリマに来ることができなかった、「東京」に関係していないひとのことを、そしてさらにいえば「現在」に関係していないひとのことを、いま、考えています。
 第十四回文学フリマに参加できたのは、現在、東京圏に生きているかたがほとんどでした。たとえば北海道に住んでいるひとは、参加したくてもできなかったでしょう。北海道から東京への距離は、時間にして最短で二時間程度ですが、どうしようもなく遠かった。そしてまたたとえば2020年に文学フリマに興味を持つ誰かのなかに(それはあなたかもしれませんが)、参加したかったと思ったかたがいたのかもしれません。しかしそれはすでにできなくなってしまっています。
 実空間は空間と時間に拘束されていて、そこでは、言葉は空間・時間から自由になれないのではないかと、私はおもいます(東京圏という「空間」に、そして2012年5月6日という「時間」に、第十四回文学フリマは限定されていました)。そしてそれを私は問題視しています。であるからこそ、この問題を解決するための方策として私は電子化を考えています。電子版を用意することで、空間も、また時間も関係なく、誰でも言葉にアクセスできるようになるのではないでしょうか(もっともこの「誰でも」には語弊(あるいは欺瞞)があります。少なくとも電子機器を扱えるひとでなければ電子版にはアクセスできません。また電子データがいつまでも公開されている保証はまったくありません)。つまり電子化によって言葉は空間・時間から自由になる、自由に近づくと考えます。このことについて別角度から考えましょう。電子化された書籍は、空間・時間(=実空間)の中におかれた言葉ではなく、言葉(=電脳空間)の中におかれた言葉なのではないでしょうか。電脳空間では、実空間における空間・時間的な制約からある程度自由になることができます。電脳空間にアクセスさえすれば、その中での空間・時間的な「距離」はゼロになるのですから。電脳空間には時間も空間もありません。2010年でも、2005年でも、1995年でも、電脳空間ではあらゆる過去にハイパーリンクで一足飛びにアクセスできます。これは実空間ではありえない特性でしょう。つまり電子化された言葉は電子化されていない言葉よりも「距離」のうえで自由であると考えられます。そして私はこの場合の自由を、「善い」ことであると考えています。
 これが、私が電子化を是とする理由です。
 以下、説明が足りないとおもうので、「距離」についてもうすこし詳しく書きます。
 言葉にはもともと時間・空間的な「距離」を超える性質があるとおもいます。たとえば私は春であるいま屋内にいながらにして、「真夏の太陽」を指し示すことができます。「真冬の雪」を指し示すことができます。しかし言葉をもたない原始的な人間は、「石」をひとつ指し示すにしても、実際に個物を持ってこなければならないでしょう(ガリヴァー旅行記第三篇には「物体言語」という話があるそうです。ひとびとは物体をいちいち提示しながら会話する、ひじょうに面倒です。)。言葉は目の前にないものに、「距離」を超えて触れることができます。
 しかし実空間では、このような「距離」を超える力が十分に発揮されることができません。なぜならば、実空間それ自体が空間・時間からなるからです。言葉は常に空間・時間の中に配置されざるを得ません。言葉は歴史的であり、また地理的であらざるを得ないのです。
 歴史的・地理的であることははたして言葉の本質なのでしょうか? そうではない、と私は信じたい。もちろん電子化された言葉が歴史的・地理的であることから完全に自由であるはずがありません。そんなことはありえないでしょう。しかし、少なくとも書籍化され実空間にて頒布される紙束よりは、言葉は自由になるのではないでしょうか。電脳空間にさえアクセスしてしまえば、そこの内部の言葉には、地理的条件にかかわりなくほとんどの人はアクセスすることが可能です。また未来の誰かに対しても平等に、電脳空間はひらかれる可能性があります(少なくとも実空間のようには閉じられません)。なぜならば言葉(=電脳空間)は、「距離」を超えるという性質を持つからです。(自由と書きました。しかし私は政府等によるアクセス規制や、あるいは言語間の翻訳の問題を棚上げにしています。決して精緻な議論ではありませんね)
 言葉は電子化によって空間・時間=「距離」を超える、だからこそ私は、言葉を電子化することに、ある程度の意義を見出します。「距離」を超えるという言葉の性質が生きるからこそ、それを意義とおもうからこそ、私は電子化を是と考えるのです。そしてその意義を私は「歌集を有料で購入した方にとっての好ましくなさ」以上のものにおもっています。言い換えれば私は、空間的・時間的に制限されないことによってはじめて触れることのできる無数の(可能性としての)読者を、現実の空間・時間の中に具体的にあらわれた読者以上に、尊重しているということにもなるでしょう。はたしてこれが「本当に」正しい選択なのか、私には合理的に判断することができません。これらの選択は倫理における「トロッコ問題」に等しいのではないかと考えます。「正解」などないのではないでしょうか。だから「具体的にあらわれた読者」に対して私は、謝る以外の向き合い方を持ちません。文学フリマにて『さよならが来るのを待っている君へ』を購入してくださった「あなた」へ、私は謝らなければなりません。私は「あなた」以外のひとのために、歌集を電子化しようとしているのですから。
 だから、もうしわけございません。
 そのような読者の「差別化」の上で、私は電子化を是と考え、実行しようと計画しています。
 また無料公開ではなく有料公開にすることで「平等」をもたらすことができるのではないか、という考えもあるとおもいますが、有料公開にして得をするのは誰でしょうか。少なくとも電子版を読む方は得をしません。すでに書籍版を購入している方も決して得はしないでしょう。結局、得をするのはその利益を得る私たちだけではないでしょうか。しかしそのような「利益」は倫理を考えたとき、「善い」ものではないと私はおもいます。だから有料公開を私は是としません。(また有料公開のための作業が非常にめんどうである、という実質的な問題もあります。といいますかむしろ有料公開にしない理由としてはこちらが主です)
 以上長々と書きましたが、これはあくまでも私の考えでしかありません。id:suzuchiuさんにはまた別の考えがあることでしょう。そしてそれがどのようなものなのか私にはわかりません。しかしid:suzuchiuさんも電子化・無料公開に賛成しているという事実は確かにあります。
 なんにせよ、書きたいことは書きました。以上をもって私自身による電子化についての弁明を終えます。



 現在、まだ電子化の作業中です。
 作業が終わり次第、また、当ブログにて告知したいとおもいます。


 さて、今回の更新をまとめますと、
 【1.実店舗での委託販売】→中野のタコシェ様にて委託を開始しました。
 【2.通販はできるのか】→個別に問い合わせをしていただければ可能です。
 【3.電子版の公開について】→電子版の無料公開を準備中です。
 となります。


 今回の更新は以上です。
 みなさまに無事に歌集が届くことを祈っています。(打ち消し線 2012.05.27朝追加,『届くことを祈る』という表現への違和感のため)