稀風社ブログ

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稀風社は鈴木ちはね(id:suzuchiu)と三上春海(id:kamiharu)の同人誌発行所です。問い合わせはkifusha☆gmail.com(☆→@)へ。

「月夜のドライブ」訂正版 全文掲載

 稀風社の文フリ19新刊『あたらしい遠足』に収録の小説作品「月夜のドライブ」(作:尾瀬みさき)の訂正版を全文掲載いたします(掲載にあたっての経緯は次のリンクをご参照ください)。
 『あたらしい遠足』に関するお詫びと訂正 - 稀風社ブログ
 『あたらしい遠足』を購入されたかたはもちろん、そうでないかたにも広くご覧いただければとおもいます。
 『あたらしい遠足』をご購入いただいた皆様につきましては、本文末尾に正誤表を付記しましたのでそちらもどうぞご参照ください。

月夜のドライブ   尾瀬みさき



 停車時間が長かったので、きっと、国道か県道かの信号待ちだったのだろう。
 エンジンの音が自動車の加速を伝える。見栄を張って買った中古のミニクーパーのシートは少し固い。普段ならばシートに少しだけ沈み込む感覚があって、僕はそれが好きなのだけれど、今はまったく伝わってこない。
 目は開いているが、視界は閉ざされている。時計を確かめられないけれど、恐らくはまだ夕方で、日は沈みきっていないはず。
 僕は今、寝袋に包まり、車の後部座席に横たわっている。その上、顔の部分を遮光布でぐるぐると巻かれているから、光はまったく届かない。
 下手に喋ると顔の動きで布が動いて息苦しくなってしまうので、僕は沈黙を保っている。それを察してかこの処置を施した運転手も言葉を発しない。
 少しでも早くこの包装が解かれることを望むが、それはたとえばこの自動車を運転する女性にはどうにもならないことだ。誰にもどうすることもできない事柄というのは少なくない。中でも天体の運行を変えるというのは、神話の世界においてもタブーに属する。
 ラジオなりオーディオなり流せばいいのに、と声に出しはしないけれど不満に思う。視界を閉ざされ聴こえるのは走行音ばかり。苦痛こそ感じないが、落ち着かなかった。
 それにちょっとだけおなかがすいた。おにぎりと、それから血液。軽く腹ごしらえをしたかった。カバンの中に赤血球製剤のパウチがしまってあるが、なにぶん寝袋におさまっているものだから手が伸ばせない。
 夜が恋しい。夜明けを待つ人よりいくらか切実な思いだというのは傲慢か。
 僕は吸血鬼であり、日没前、急ぎの用事が入り、まるで大きな芋虫のような姿になって、車に揺られていた。


 母から電話がかかってきたのはほんの数時間前だ。
『もしもし、母ですが』
 電話番号が母の携帯電話だったからそれは自明のことではあったが、母はこういうとぼけたことをする人だった。声の似ている三つ上の姉が母に成りすましていることはなさそうだ。
「息子ですが」
『ああ、よかった。寝てた?』
 時刻はおやつにはうってつけの午後三時。遮光カーテンをきっちりと閉めているので外の光は届かない。ここのところ昼夜逆転というか、昼も夜もない生活を送っていたので、眠気はなかった。
「起きてたよ。それで、こんな時間にかけてくるのはどういう用件なの」
『あのねえ、お父さんが入院しちゃって、ちょっと顔出せない?』
 入院とは穏やかではなかった。けれど、母の声色は割合に落ち着いていて、どうにも深刻さが見出せない。虫垂炎なら笑ってやるつもりでいた。
「親父は一体どうしたの」
『散歩中にね、血を吐いて倒れちゃった』
 それは一大事だ、と僕は思った。母よ、平気な調子でそんなことを言われても反応に困る。狼狽されるよりはよほどいいが、そうすると僕ひとりの動揺だけが際立ってしまう。血を吐く。喀血。想像するだに恐ろしかった。
「意識はある?」
『落ち着いてる。さっき手続きして、今、病院からかけてる。どう、来れるならいつぐらいになりそう?』
 僕は当面のスケジュールを頭の中から引っ張り出した。今日と明日は休日だ。今日出発すれば、明日の夜には帰ってこれる。仕事に差し障りはなかった。
「今日、そっちに行くよ。すぐには出られないけど」
『分かった。遅くなるようならわたしも一旦家に帰るよ。犬もいるし』
「姉さんは?」
「仕事で遅くなりそうって」
「そう。あのさあ、カーテンは」
『変えてないよ』
「分かった。ありがとう。じゃあ、よろしく」
 最低限の確認をして通話を切る。慌しい中で母にこういったことを頼みたくはないが、こういった細々とした確認は事前にしておかなければならなかった。なにしろ吸血鬼なので日光に弱い。実家の部屋には窓があるし、それを雨戸と遮光カーテンで閉ざさなければ僕は家の中で焼死してしまう。だから僕がまだ実家に住んでいた頃、立ち入ることのない姉や両親の寝室を除いては、日中でもカーテンが引いてあった。
「横で聞いてて、さすがは家族って感じがしました」
 ベッドに寝転がって文庫本を読んでいた彼女がそう言うので、僕は通話の内容を彼女に悟られたと分かった。
「うっかりしてた」
「いいじゃないですか。気にするようなら、気をつけますけど」
「まだ、母との電話に照れのある年齢なんだよ」
「かわいいですよね、そういうとこ」
「情けないっていうんだと思うんだけど」
「これ友達にいったら怒られたんですけどね。わたしはたぶん、おしめを換えたい側の人です」
 にこにことそんなことを言う彼女は僕の仕事のパートナーだ。短大を出たばかりだが、十代の頃からアルバイトで今の職場に勤めていて、僕にとっては年下の先輩に当たる。
 少し目が細いが、目元にはやわらかさがあって、かわいげのある顔立ちをしている。化粧をしていても目を大きく見せようとしないのが僕は好きだった。
 最近は休日を共に過ごすようになった。今日も僕の部屋で何をするでもなく寝転がっている。基本的に二人一組で仕事をするので、特別な事情がない限り休みが重なっている。都合が良かった。そういう間のよさというのは物事を円滑に進めてくれる。
「出かけるんですね」
「うん。日が沈んだら出るつもり」
 だからそれまでは一緒にいられる、そういうつもりで僕は言った。だから彼女が「送りますよ」とベッドから起き上がって、開いていたシャツのボタンを一つ閉めたのには驚いた。
「それじゃあ病院の面会時間に間に合わないじゃないですか」
「今日行って泊まって、お見舞いは明日の夜に」
「暇なんだから、さっさと行くべきです」
「先方もばたばたしてるだろうし」
「言われたとおりにしなさい」
 彼女の有無を言わさぬ一言に、僕は一切の反論を諦めた。母が来いと電話をかけてきて、彼女がすぐに行けと言うのだから、息子であり男である僕はその言葉に従うまでだろう。
「途中までは荷物として運びますから」
 そう言って彼女は寝袋を取り出すために押入れを開けた。
 実際に見たことはないが、夜行性のコウモリも夕方には既に酔ったように低空を飛び回っているそうだ。吸血鬼だって本人の努力や科学の進歩があれば夕暮れ時を歩くくらいはできるようになるんじゃないかという気がする。確かめたことはないし、確かめる気もない。たかだか十数分のために火傷のリスクを負おうとは思わない。
 扱いに慎重を期す必要のある吸血鬼というのは、日没前の外出時は特注の寝袋に包まってまさに荷物扱いで輸送される。
 そのことについて、思うところはない。そうするほかに方法がないのだから、当然、そうされるべきだろう。それは僕にとっての助けで、ただ当たり前のこととして、運んでくれる彼女に感謝をする。
 今日の日の入りを計算する。東京の日没時刻は、午後四時四十二分。支度にかかる時間を考えると、寝袋に包まれたまま車に揺られる時間は一時間ほどで済みそうだった。
 だいぶ日も短くなって、吸血鬼にとってはありがたい季節ではある。夏だったらもっと面倒なことになっていた。
「そうだ。ちゅうしていきますか?」
 寝袋を引っ張り出した彼女が、自分のくちびるを右手の人差し指で隠すようにしてから、思いついたように、今度は首筋をとんとんと叩いた。
 僕は顔から火が出るほど恥ずかしくなってしまい、彼女の頬に軽くキスをして、それから冷蔵庫から血液パックを取り出してカバンにしまった。


 父も母も、それから姉も、普通の人間だ。朝に起きて、昼を過ごし、夜には床に就く。
 僕も生まれた時は普通の赤ん坊で、物心つく前は日の光を浴びて暮らしていたのだという。
 二歳の誕生日の前後から、日中になると軽い火傷のような症状が出るようになった。焼けた皮膚は母乳を飲むと少し癒え、日が沈むと元通りになった。あまりに不可解な症状に、医師も困惑していたそうだ。いくつかの医療機関たらいまわしにされた後、とある研究機関で吸血鬼であると診断された。
 栄養として血液の摂取を必要とする代わりに、新陳代謝と免疫が常人の比較にならないほど活発になり、ある一定程度の年齢になると老化が止まる病。母乳は血液から造られるから、火傷は母乳を飲んで一時的に回復しているというのが真相だった。種族としての吸血鬼は存在せず、古くより存在した人の病であるのだと医師は両親に説明した。
 昼間の活動が制限されたことで、僕は幼稚園にも小学校にも通えなかった。その代わり、母が僕に初等教育を施した。読み書きや加減乗除でつまずいたことはない。体育はさすがに母には荷が重かったが、父が犬を飼いはじめて、夜の散歩に僕もついて歩き、最低限運動不足にはならないで済んだ。けれど、父とキャッチボールをするような機会はなく、僕は十代の後半になるまでまっすぐボールを投げることができなかった。その代わり、姉と一緒によく遊び、少女漫画や文芸書を読んで過ごした。
 中学校の範囲も母は自ら教えるつもりでいたそうだが、十二歳の冬、僕は吸血鬼の診断を下した研究機関の運営する施設に移って暮らすようになった。
 フィクションでなら、こうした研究の裏に陰謀が渦巻いていたりするのだろう。実際によからぬ企ては存在したのかもしれない。けれど、僕にとっては全寮制の学校のようなもので、そこで六年を過ごしたけれど、大きな事件は何も起こらなかった。同い年こそいなかったものの、数名、僕と同じく吸血鬼とみなされた子供が施設にはいて、それなりに仲良くしていた。
 普通なら高校を卒業する歳になり、僕は高卒扱いの身分を得て、実家に戻った。支援を受けながらではあるが、深夜時間帯のアルバイトをして、人並みの暮らしを三ヶ月模倣した。
 夏になって日が長くなると、夜にしか外を出歩けない僕には働くことが困難になり、バイトをやめ、さんざん世話になった研究機関に今度は就職することになった。暮らしていた施設とは違う研究所で使い走りのような雑用をこなしながら、彼女と出会い、直接の後輩として指導を受けた。
 はじめて会った時、彼女はまだ高校生で、付き合っている同級生の男の子がいた。僕はそれをゴシップ好きのほかの先輩に聞かされていたから、高校生の女の子というのは、やはりそういうことをするのだな、とむしろ感心した覚えがある。彼とはいつの間にか別れていた。そういった素振りを僕が見つけることはなかった。
 彼女は吸血鬼ではないが、彼女なりの事情を持っている。それでも小中高短大と学校に通い、友達もいる。人には言えない秘密も抱えている。僕は漠然とその存在に気付いていて、しかし、あえて踏み込んで詮索しようともしなかった。誰にもそれぞれの生活がある。他人の人生を全て知る必要はない。薬味が苦手でカップラーメンを食べる前に茶漉しでネギを除けることを忘れないようにし、僕がニンニク入りのラーメンを食べているのを信じられないといった表情で見ていたのを覚えていれば、それで十分だろう。
 僕は彼女とクリスマスを過ごしたことがない。十二月二十四日、二十五日は、冬至が来てすぐ、夜が長くてとてもいい時期だ。夜通し活気のある大晦日も好きだった。そろそろ今年も暮れが近づいている。


 空に向かって直立する巨大な円筒が盆地の中にあって、僕は宙に浮かんでその威容を見下ろしている。
 筒の周囲には申し訳程度の施設が建っていたが、それらも使い捨てを前提にした簡素な造りだった。ほどなく噴射で焼き払われることになる。
 筒状の構造物は宇宙船であり、今まさに地球を旅立とうとしていた。 
 人類が地球という田舎に見切りをつけて、宇宙に引越しを本格化させてから何十年かが過ぎ、数十名の小さな集落をそっくりそのまま宇宙へ送り出すことも珍しくなくなった。家も墓も、全て抱え込んで筒は空へと向かう。
 僕も歳を取った。日々の感覚は鈍磨して久しい。春であり、夏であり、秋であり、冬であり、そして朝であり昼であり夜であり。そういう大まかな区別があれば、細部に拘る必要はない。
 血を飲むことはやめられず、原因も未だなお特定できてはいないのだけれど、日の光を僕は随分前に克服していた。
 科学を礼賛するつもりはない。それでも、頭上に太陽がある時間に僕が空に浮かんでいられるのは科学の恩恵だ。いずれできるようになると思っていたけれど、いざそうなってみると、現実味に欠ける。現実味に欠ける現実だ。
 過ぎ去った時間は途方もない。指を折って数えて数えて、今年が西暦で何年かを導き出した。そして、過ぎた時間の長さのことではなく、いなくなった人のことを、少しだけ思い出す。
「人類は月に住めるようになるにはあと何年かかりますかね?」
 何百年か前、彼女は確かに僕にそう問うた。
「僕が生きている間には、第一陣ぐらいは」
 実際には地球ががらがらになるくらい多くの人々が大地を離れられるようになった。その頃、僕も彼女も若く、見通しが甘かった。
「それだと、困っちゃいますよね」
「どうして」
「人類が新天地を宇宙に見出して、地球が空き家になるとしたら、吸血鬼なんてくいっぱぐれますよ」
 どこか心配するように彼女は言った。確か僕は、思い切り笑ったはずだ。
「あはははは」
 こんな風に大口を開けて、大仰に、笑い飛ばしてやった。そういう覚えがある。
「わざと笑う」
 彼女はふくれっ面をして、それがまたかわいらしい。
「来年のことを話すと鬼が笑う」
 僕は広義の鬼であるから、何百年も先のことを話した彼女を笑った。
「長く生きるんだから、将来のことでしょう。不安はないんですか」
「僕にはどうにもぴんとこない。今暮らせている土地を離れて、不便なところで、不便な生活をしたがる人のこと。本当にそうなるかな」
「フロンティアスピリッツでしょう。荒れ果てた地に種を蒔きたい人というのがどんな時代にも一定数いる」
「そういう考え方って、得体が知れない」
「多様性の確保なんじゃないですか? よく知りませんけど」
「そういう見方をするならば、宇宙に出るのが普通になっても、地球にしがみつく変わり者はいるだろうし。多様性の確保の観点から」
「誰もいなくなる、なんてことはないと」
「きっと。まあ、食うに事欠いたら、僕も宇宙に行けばいいんじゃないかな」
「吸血鬼は月に行けると思いますか」
「犬でも行った宇宙だ」
「昼も夜もない世界で、焼かれて死んだりしませんか」
「それはそれで悪くないような気がする」
「だめですよ。行くならちゃんと月まで行ってください」
「君がそういうなら頑張ってみるよ。六分の一の重力で生まれ育った人間の血の味っていうのも、ちょっと気になるし」
 懐かしい会話だ。もはや過去を順序立てて遡れなくなっていた僕には、昨日の出来事のように感じられた。
 僕は月生まれの血を飲んでみたくなった。古い友人は月に行ったきり音信がないし、久しぶりに会いたい。折を見て、宇宙へ行こうと決める。けれど、それは今すぐじゃなくていい。僕はいずれ死ぬが、それも当分先の予定だった。盆地の向こうには、まだ街としての体を成しているところがいくつかあった。


 少しの間、眠っていた。ウインカーの音がかちかちと響く。緩やかに走行速度が落ちていくのに気付いた。ほどなく停車し、エンジンが止まる。前部のドアの開く音、閉まる音、そして後部座席のドアが開かれた。
「おつかれさまです。顔の布、取りますね」
 声がかけられて、遮光用の布が取り払われた。
「一息ついた」
 我ながらアニメーションに毒されたエスエフな夢を見たと思う。思春期には深夜アニメばかり見て育ったのだ。外での遊びを知らず、深夜に起きていると、趣味が偏る。
「休憩しましょう。コンビニです」
 見ると、コンビニエンスストアの駐車場だった。店舗面積に対して駐車場を広く取った、長距離ドライバー向けの店舗だ。店舗名を見て、インターチェンジの近くまで来たと分かった。
「コーヒーが飲みたい」
 空はすっかり薄暗くなっていた。時刻は午後五時を少し回ったところ。
「買ってきましょうか」
「僕も行く。体、動かしたいし」
 そう言って、両肩をぐるぐると回してみせた。ほんの一時間ほどとは言え、窮屈な体勢で後部座席に丸まっていたのだ、体のあちこちが凝っている。吸血鬼も乳酸は溜まる。
 それにエンジンを切った車中は寒い。暖房の効いた店内に行かない理由がなかった。
 連れ立って自動ドアをくぐり、彼女は店内奥にある飲み物のコーナーへ向かい、僕は入り口の突き当たりにあるおにぎりの陳列棚へ直行した。
 僕はコンビニが好きだ。床が磨かれ、大量の蛍光灯の光を反射することで店内が白く輝くように見える仕組みが気に入っている。実際はどうあれ見た目の清潔感があるし、何より夜間、来店する客を安心させる光だと思う。
 シャケ、シーチキン、おかか、梅干し、チャーハンむすび、少し高い魚沼産こしひかりの鮭ハラスおにぎり。棚に並ぶおにぎりを吟味しながら、コーヒーを飲むのであればおにぎりではなく惣菜パンにすべきか、とふと迷いを覚える。
 海苔の巻かれたおにぎりをコーヒーで流し込むのは苦にならない。けれど、調和が取れるとすれば米よりも麦になるか。
 むしろコーヒーではなく温かいお茶というのも手だ。保温器の中にはペットボトルのほうじ茶なんて気の利いたものもある。
 ここは思案のしどころ。レジ前に直立不動になるのは店員に無用のプレッシャーを与えてしまうし、他の客にも迷惑だ。店内をゆっくり移動しながら、おにぎり、パン、コーヒー、お茶、どれを立てるかじっくりと考える。
「あれ、まだ時間かかりそうですか」
 後ろから彼女に声をかけられた。彼女は入店の際は持っていかなかった備え付けのカゴを左手にぶらさげていた。カゴの中にはたまごサンドと、チルドカップのカフェラテだ。
「ちょっと、組み立てがさ。それだけでいいの?」
「いえ、買う時にあんまんでも食べようかなって」
 あんまん! その選択肢は頭になかった。普段はおやつ代わりに一個買うぐらいだが、今の腹具合なら肉まんとあんまん二つ買ってちょうどいいぐらいだ。その場合、コーヒーでもお茶でもいい。
「あ、じゃあ僕もそうしよう」
 すっかり口の中が中華まんの気分になっていた。何を食べるか迷って、後から違うものを買えばよかった、と未練が生じることがあって、あれが苦手だ。けれどこの分なら、中華まんがべちょべちょでない限り満足できるはずだ。
 この名案は彼女がいなければ思い当たることはなかったと思う。


 夜のドライブというのは趣があるそうだけれど、僕は昼間に運転をしたことがないので比較ができず、いまいちぴんとこない。
 高架橋の上に作られた高速道は橙の街路灯に等間隔に照らされて、とても明るい。
 闇夜の住人だなんて言い方は陳腐だ。僕は蛍光灯の灯りに拘る男である。コンビニの光を愛する男である。日光の届かない部屋にこもっていると照明が恋しくなるというものだ。
 光がなければ像は映し出されない。正体不明とは言えど吸血鬼も生物だ。物理法則からは逃れられない。
 たとえば、吸血鬼は空に浮かび上がることができる。どうしてできるのかは分かっていない。僕がふわりと飛び上がるのを見て、まるで魔法のようだ、と言った研究者もいたぐらいだ。けれど、彼は本当に魔法の仕業であるとは少しも考えていなかった。かつて航空力学上考えられないとされたクマバチの飛行方法が解明されたように、君が空を飛べるのにも、いずれは納得の行く説明ができるようになると彼は言った。いかに不可思議で稀有なことであっても、現象として存在する限り、それはありうべからざることではないのだと。
 僕は、飛行して病院に向かうという選択肢を、特別な思いからではなく合理的な判断の結果として除外した。
 ふきさらしの空はとても冷たい。十一月ともなればおよそ快適とは言えない。冬の海でサーフィンをする人々のように、趣味的に楽しめればまた別の感覚があるのだろうけれど、僕には空を飛ぶのがそれほど愉快なこととは思えなかった。夏の夜に打ち上げ花火を見ながら飛ぶのはいいけれど、鼻水を垂らしながら身を震わせて飛ぶなんて、ばかばかしくてやっていられない。
 鉄道を乗り継いでいくことを考えなかったのも、吸血鬼が公共交通機関と相性が悪いからだ。外出可能な時間が大体午後六時から午前五時まで。出かけるのに、行きはいいとしても帰りの足がなくなる。飛行機も国内線は深夜には飛ばない。夜行バスを使おうものなら、目的地に到着する頃には灰になってしまう。
 結局のところ、吸血鬼にとって一番便利な移動手段は、大多数の人々と同じように、自家用車なのだ。
 だから僕は当たり前のこととして運転免許を取った。長らく公でない公的機関の世話になっていたから、運転免許の書類手続きなどは融通をきかせてもらえてよかった。けれど、運転教習は夜間教習というサービスがあるのだから、という理由で民間の教習所に通えと言われ、大人しく従った。当然ひどく割高で世知辛い気持ちになった。
 教習の教官が喋り好きで、夜の路上に出るとすぐに話したがった。とは言え、不慣れな運転に神経を集中させている僕に気の利いた話題を提供する余裕はない。助手席に座った教官が思いつくまま話すのに相鎚を打つというのが常だった。振り返ってみれば、彼は受け答えを求めない話を意図的に選んで喋っていたように思う。
 僕が吸血鬼だと知っていた彼は、高速実習でこう言ったのだった。
「夜にしか運転できないとして、それでも、夜に運転できるだけ幸せなことだ。逆ならつまらない。昼間しか運転できないというなら俺は首をくくるかも知れないね。ドライブはね、夜にするものだよ」
 僕はその言葉に肯くことはできない。けれど教官にとっては実感のこもった言葉だったのだと思う。名前を忘れてしまったが、五十がらみの、発音がはっきりして言葉になまりを感じさせない男だった。彼のおかげか、僕は運転教習に悪い思い出がない。
 ミニクーパーは僕の車なので、自分で運転をしたいという思いがあった。だから、休憩をしたコンビニで彼女に運転の交代を申し出た。高速に乗ってからの道程が長いし、そもそも僕の父の見舞いに行くのだから、僕が運転するのが本当だろうと。彼女はそれを断った。
「行きはわたしで、帰りはお任せします。それでちょうどはんぶんこになるじゃないですか」
 コンビニの駐車場で、僕の肉まんをかじりながら彼女は言った。僕は彼女のたまごサンドを一口だけもらって、彼女には帰りの道中に憂いなく寝てもらえばいいと考え、すぐに引き下がった。空になった寝袋をずらして、彼女のバッグを空いたスペースに置き、僕は助手席に移った。輸血パックは外では出せなかったので、食後のデザートの感覚で助手席で飲んだ。
「お父さんってどんな人ですか?」
「さあ?」
 緑色の案内標識の地名に意識を向けていたら不意に彼女がそう問うた。その質問に僕はこう答えるしかなかったし、返答を聞いて彼女は一瞬、しくじったという表情を見せた。さほど広がりのある話題ではないと思ったが、彼女に勘違いをされたままというのは不本意だったので、こう続けた。
「子は親と友達ではないから。僕は父の好きな食べ物を知らないし、母との馴れ初めも知らないし、どういった仕事を為してきたかも知らない。それは、単に僕が父とそういう話をしなかったから」
「ドライですね」
「普通の範疇に入るような気が自分ではするんだけど。親は親であって、仲良くなったり深く知る対象じゃないんだと思ってるよ」
「じゃあ、嫌いじゃないんですか」
「父のことを好きか嫌いかなんて、考えたこともない」
 父は父だ。好悪の尺度を持ち込む相手ではない、と自分が考えていることにはじめて気付いた。
「わたしは割と自分のお父さん、好きなんですよ」
「へえ」
 父と娘の仲がいいのは喜ばしいことだ。そこに嫉妬をするのは筋が違う。姉も父とは良好な関係を築いていた。特別なことではない。
「お父さんとお母さん、二人暮らしですか?」
「姉が近くに住んでるけどね。ああ、犬がいるよ。スキッパーキって犬種で。小さくてずんぐりしてる」
「ああ、見たことありますよ。かわいいですよね」
「かわいいよ」
「知ってました? スキッパーキって長生きで有名な犬種なんですよ」
「知らなかった」
「お名前はなんていう子なんですか」
「チヨスケ」
「男の子だ」
「身内褒めになるけど、特段しつけを厳しくしなくても、吠えないし噛まなかった」
「かしこい」
「寝るとき、足をぴんと伸ばして金縛りみたいにしてる」
「ばかっぽい」
「僕の家族がどんな人か知りたい?」
「まあ、知識として仕入れておきたいですよ。実際上の必要として、興味本位として」
「なら今日、うちの犬をついでに見に来るといいよ」
「そうですね。犬は見たいかも」


 高速の道中、僕らはあまり会話をせず、今のような話を時折思い出したようにするだけだった。
 僕は正直なところ、倒れた父を見舞いに行く道中、暗い雰囲気に包まれるのが恐かった。
 頭ではこう考えている。きっと大した病気ではない。父は老いたが、それでもまだ若い。病室のベッドの上で暇を持て余していることだろう。血を吐いて、布団の上で寝ているだけというのはいかにも病人の姿だけれど、そのことに弱ったり思い悩む父というのは想像できなかった。厄介なことになってしまった、ついでに他に悪いところでもないか診てもらおう、そのくらい暢気に構えている方がしっくりくる。そうでなければ電話口の母の声はもっと剣呑な調子を帯びていたはずだ。母は危機に鈍感な人ではなかった。僕が慌てて駆けつけたことに、父は照れたり、笑ったり、あるいは呆れるのだと思う。
 そんな風に思い巡らせてみても、まったく制御できないところで、恐怖がせり上がってくるのが厭でならなかった。沈黙の効用は時と場合によって変化する。心を落ち着けてくれることもあるし、場の重苦しさを覿面に演出してしまうこともある。
 音や光がないことがたまらなく不安になる瞬間があり、だからこそ人は、真夜中に火を見つめるとほっとするし、誰かと話すことで安心するのだ。
 寝袋に包まり荷物になっていた間は、沈黙が当然のものであったので気が楽だった。助手席に移ってからは、気詰まりにならないよう上滑りしてでも会話を繋げよう、そういう心積もりでいた。けれどそれは杞憂に終わった。
 彼女が運転する車の中で、助手席に座っている分には、街路灯の光とジョイントを通過する規則的な音だけで、少しも恐れを感じなかったのだから。
 だから僕は、ただ音楽が聴きたくなったからという理由で、CDをカーオーディオに挿入した。
 四十年前のロックバンドのアルバムは、少し照れくさい表現をすれば、月夜のドライブの雰囲気に合っていた。僕が生まれる前に結成し、僕が生まれる前に解散したバンド。当時のメンバーはその後それぞれに音楽活動を続けている。皆、還暦を過ぎているが、死んだという話は聞かない。父の世代のバンド。レコード屋にもレンタルショップにも通わない生活をしていたから音楽には疎く、教養として仕入れようと思って、父のコレクションから一枚ずつこっそりと借りて聴いた。東京に出る時、特に好きなアルバムをいくつか譲ってくれて、僕は気恥ずかしかったし、嬉しかった。
 いい曲ですね、なんて彼女は言わない。けれど、ハンドルを握る右手の人差し指が、リズムを刻むように上下しているように見えた。
 僕は吸血鬼であることについて悲観的な見方をしていない。それは生まれ持ったものだし、祈ったり呪ったり、きりがないのだと、十代でなんとなく分かった。二十代になって、とりあえず当座を生きていられるのであれば、それでいいように思うようになった。僕の寿命はひょっとすると果てしなく長く、たとえば五百年生きるとして、その間ずっと自分が吸血鬼であることにくよくよして思い悩むのは、これはばからしい。
 ただ、それはそれとして、吸血鬼であるがゆえの生活の苦労というのは尽きない。煩わしさや億劫さは確かにあって、それは洗濯物を干せなかったり、市役所の窓口が午後五時には閉まってしまうことだったり、父の火葬には立ち会えないだろうことだったりする。
 面倒なことに折り合いをつけて、ひとりで暮らしていくことはできる。でも、いろいろとよく世話してくれるかわいい女の子がいたら僕は助かる。現に今、僕は、助けられて生活している。父が倒れ、もしかしたらこのまま亡くなってしまうとしても、やはりそこには彼女がいてくれるので、きっとよく気がつき、僕はやはり助かるのではないかと思う。父もまた、たとえば倒れた時に母がいることで助かったろうし、母もまた、僕が知らないところで、父に助けられているのだろう。
 来月はクリスマスがあり、大晦日がある。年が明けて、また一年がはじまる。
 月は東の空にあって、ちょうど助手席からでは見えない位置になっていた。それならばと金星を探してみたが、すぐに、宵の明星が見られる時期ではないことを思い出す。それでもぼんやりと車窓を眺めていると、雲のない空の中を黒い影が滑るように動いているのが見えた。僕にはそれが吸血鬼の姿だと分かった。時代錯誤なマントをたなびかせながら気ままに飛んで、やがて見えなくなった。
 自動車は高速道路を北上する。
 彼女がちらと、月のある方を一瞥したようだった。




【正誤表】
凡例:書籍ページ数、段落、『訂正前』→『訂正後』
・p.4上段、二段落、『加速で身体がシートに沈みこむ感覚がない。それが今は何故か恐ろしい。』→『普段ならばシートに少しだけ沈み込む感覚があって、僕はそれが好きなのだけれど、今はまったく伝わってこない。』
・p.4下段、二段落、『軽くお腹におさめたかった』→『軽く腹ごしらえをしたかった』
・p.4下段、二段落、『寝袋に収まって』→『寝袋におさまって』
・p.6上段、二段落、『今の職場に務めていて』→『今の職場に勤めていて』
・p.6下段、一段落、『「いや、夜になってから電車で行こうかなって」』から『「途中までは荷物として運びますから」』までを以下に置換。
『「それじゃあ病院の面会時間に間に合わないじゃないですか」
「今日行って泊まって、お見舞いは明日の夜に」
「暇なんだから、さっさと行くべきです」
「先方もばたばたしてるだろうし」
「言われたとおりにしなさい」
 彼女の有無を言わさぬ一言に、僕は一切の反論を諦めた。母が来いと電話をかけてきて、彼女がすぐに行けと言うのだから、息子であり男である僕はその言葉に従うまでだろう。』
・p.7上段、三段落、『日の入りを計算する。十一月の上旬。今日の日没時刻は、東京、午後四時四十二分。』→『今日の日の入りを計算する。東京の日没時刻は、午後四時四十二分。』
・p.7下段、四段落、『血液を摂取し、新陳代謝と免疫が常人の比較にならないほど活発で、』→『栄養として血液の摂取を必要とする代わりに、新陳代謝と免疫が常人の比較にならないほど活発になり、』
・p.7下段、五段落、『つまづいた』→『つまずいた』
・p.8上段、四段落、『普通なら高校を卒業する歳になって、僕は高卒扱いの身分になったと同時に実家に戻った。』→『普通なら高校を卒業する歳になり、僕は高卒扱いの身分を得て、実家に戻った。』
・p.8上段、五段落、『僕は労働することが困難になり、』→『夜にしか外を出歩けない僕には働くことが困難になり』
・p.8下段、三段落、『誰にもそれぞれの生活がある。』以降の文章を以下に置換。
『他人の人生を全て知る必要はない。薬味が苦手でカップラーメンを食べる前に茶漉しでネギを除けることを忘れないようにし、僕がニンニク入りのラーメンを食べているのを信じられないといった表情で見ていたのを覚えていれば、それで十分だろう。』
・p.9上段、四段落、『なんといってもあの筒状の構造物は宇宙船であり、』→『筒状の構造物は宇宙船であり、』
・p.10下段、三段落、『体を為している』→『体を成している』
・p.11上段、三段落、『思春期は深夜アニメばかり』→『思春期には深夜アニメばかり』
・p.11上段、四段落、『長距離運送トラック向けの店舗だ。』→『長距離ドライバー向けの店舗だ。』
・p.12下段、四段落、『日光を恐れて届かない部屋にこもっているのなら、当然そうなろうというものだ。』→『日光の届かない部屋にこもっていると照明が恋しくなるというものだ。』
・p.12下段、五段落、『とても素朴な科学の常識として』から、六段落『けれど、移動手段に選ぼうとは思わない。』までを以下に置換。
『 光がなければ像は映し出されない。正体不明とは言えど吸血鬼も生物だ。物理法則からは逃れられない。
 たとえば、吸血鬼は空に浮かび上がることができる。どうしてできるのかは分かっていない。僕がふわりと飛び上がるのを見て、まるで魔法のようだ、と言った研究者もいたぐらいだ。けれど、彼は本当に魔法の仕業であるとは少しも考えていなかった。かつて航空力学上考えられないとされたクマバチの飛行方法が解明されたように、君が空を飛べるのにも、いずれは納得の行く説明ができるようになると彼は言った。いかに不可思議で稀有なことであっても、現象として存在する限り、それはありうべからざることではないのだと。
 僕は、飛行して病院に向かうという選択肢を、特別な思いからではなく合理的な判断の結果として除外した。』
・p.12下段、六段落より、『あるのだろうけれど、』以降を以下に置換。
『あるのだろうけれど、僕には空を飛ぶのがそれほど愉快なこととは思えなかった。夏の夜に打ち上げ花火を見ながら飛ぶのはいいけれど、鼻水を垂らしながら身を震わせて飛ぶなんて、ばかばかしくてやっていられない。』
・p.13上段、二段落、『それに吸血鬼は公共交通機関と相性が悪い。生活時間が大体午後六時から午前五時まで。出かけるのに、行きはいいとしても帰りの足がなくなるのだ。』→『鉄道を乗り継いでいくことを考えなかったのも、吸血鬼が公共交通機関と相性が悪いからだ。外出可能な時間が大体午後六時から午前五時まで。出かけるのに、行きはいいとしても帰りの足がなくなる。』
・p.13上段、三段落、『だからこそ僕は運転免許を取った。』を以下に置換。
『 結局のところ、吸血鬼にとって一番便利な移動手段は、大多数の人々と同じように、自家用車なのだ。
 だから僕は当たり前のこととして運転免許を取った。』
・p.13、三段落、『融通をきかせてもらった。』→『融通をきかせてもらえてよかった。』
・p.13上段、四段落、『話すこと自体が』より『面白かった。』までを以下に置換。
『とは言え、不慣れな運転に神経を集中させている僕に気の利いた話題を提供する余裕はない。助手席に座った教官が思いつくまま話すのに相鎚を打つというのが常だった。振り返ってみれば、彼は受け答えを求めない話を意図的に選んで喋っていたように思う。』
・p.15上段、四段落、『そして父はいずれ』より『捉えているのではないか。』までを以下に置換。
『血を吐いて、布団の上で寝ているだけというのはいかにも病人の姿だけれど、そのことに弱ったり思い悩む父というのは想像できなかった。厄介なことになってしまった、ついでに他に悪いところでもないか診てもらおう、そのくらい暢気に構えている方がしっくりくる。』
・p.15上段、五段落、『よい方に作用すれば静寂という名前で心を落ち着けてくれるが、悪い時は場の重苦しさを見事に演出してしまう。』→『心を落ち着けてくれることもあるし、場の重苦しさを覿面に演出してしまうこともある。』
・p.15下段、一段落、『音や光がないことが(中略)それは夜に棲む者でも変わらない。』→『音や光がないことがたまらなく不安になる瞬間があり、だからこそ人は、真夜中に火を見つめるとほっとするし、誰かと話すことで安心するのだ。』
・p.15下段、二段落、『寝袋に包まり(中略)気が楽だった』→『寝袋に包まり荷物になっていた間は、沈黙が当然のものであったので気が楽だった。』
・p.15下段、二段落、『そういう心積りでいた。』より三段落全部までを以下に置換。
『そういう心積もりでいた。けれどそれは杞憂に終わった。
 彼女が運転する車の中で、助手席に座っている分には、街路灯の光とジョイントを通過する規則的な音だけで、少しも恐れを感じなかったのだから。』
・p.15下段、五段落、『俗っぽい言い方をすれば』→『少し照れくさい表現をすれば』
・p.16上段、三段落、『これは馬鹿らしい』→『これはばからしい』
・p.16上段、四段落、『ただ、それはそれとして、生活の苦労というのは尽きない。』→『ただ、それはそれとして、吸血鬼であるがゆえの生活の苦労というのは尽きない。』
・p.16上段、四段落、『面倒くささや億劫さ』→『煩わしさや億劫さ』
・p.16上段、五段落、『ひとりでも折り合いをつけて暮らしていくことはできる。』→『面倒なことに折り合いをつけて、ひとりで暮らしていくことはできる。』
・p.16下段、三段落以降を以下に置換。
『 月は東の空にあって、ちょうど助手席からでは見えない位置になっていた。それならばと金星を探してみたが、すぐに、宵の明星が見られる時期ではないことを思い出す。それでもぼんやりと車窓を眺めていると、雲のない空の中を黒い影が滑るように動いているのが見えた。僕にはそれが吸血鬼の姿だと分かった。時代錯誤なマントをたなびかせながら気ままに飛んで、やがて見えなくなった。
 自動車は高速道路を北上する。
 彼女がちらと、月のある方を一瞥したようだった。』