稀風社ブログ

稀風社ブログ

稀風社は鈴木ちはね(id:suzuchiu)と三上春海(id:kamiharu)の同人誌発行所です。

よい島・一首評02

 東京文フリ24新刊「よい島」より、鈴木ちはね「感情のために」の一首に対する三上春海の評です。

今だから、宅間守 と言われてもいまはもういない宅間守

 鈴木ちはね「感情のために」『よい島』(稀風社)


 わたしが短歌をつくりはじめる前の、たとえば2005年くらいにはまだ、いわゆる口語*1でつくられた短歌は希少なものであったとおもう。口語であるというだけで、新しい、珍しい、あるいは変なものととらえられ、マジョリティであった文語歌人から、口語短歌の是非、が問われたりする時代がかつてあった。
 いまではもう口語で短歌を詠んだからといって、それだけで「珍しい」ととらえられることはほとんどないだろう*2口語はいまや珍しくない。総合誌をひらけば、かならず複数人は口語新かなの歌人がいるようになったし、この傾向はどんどん加速してゆくだろう。


 珍しくないということは、そこには、類型化への道がひらきはじめたということでもある。かつて、文語短歌が全盛をほこったころには、むしろ文語短歌にきびしく類型化が指摘されたのだった。誰を読んでも、仕事や、病気や、家族などのことが書いてある、些末な生活詠ばかりである、と批判がなされたことがあった。
 いま訪れている口語類型化の時代のなかで、いかにして意味内容や文体に差異をつくっていくか、という課題にいまは多くの口語歌人のひとが取り組んでいるように見受けられる。


 掲出の鈴木の歌は斉藤斎藤が2007年に発表した「今だから、宅間守」という連作を踏まえた短歌である。*3
 ここではこの「踏まえる」という操作を問題にしたい。
 鈴木ちはねの104首「感情のために」には、このような既存の短歌を「踏まえる」歌が多くある。かなり意図的に組み込まれている。


天気図がぬるぬる動いて明日になる 金正日は死んでしまった
  (「感情のために」)
春風のなかの鳩らが呟けりサリンジャーは死んでしまった
  小島なおサリンジャーは死んでしまった』)


自殺者の多い踏切 踏切では切符がなくても自殺ができる
  (「感情のために」)
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る
  (山田航『さよならバグ・チルドレン』)


飛行機が低いところを飛んでいくここから空港は十五キロ
  (「感情のために」)
マンションの上にかもめが住んでいる ここから海は約十五キロ
  (三上春海「青色本、楽しいな」) 


日本人男性みんな日本兵みたいに見えて一月終わる
  (「感情のために」)
日本兵みたいと言われてしまった サンタクロースのつもりだったのに
  (鈴木ちはね「仮の橋」)


 意図的な本歌取りから、たまたま構造やモチーフが似てしまっただけなのではないか?とおもえるような歌まで、さまざまな水準で過去の歌が「踏まえ」られていることがわかる。100首という広大な空間に踏み出すにあたって、鈴木は、過去の歌を踏まえ、それをずらす、というこの運動を自らの梃子として利用したようだ。
 これはかなり注目に値することだとおもう。


 掲出の歌は、斉藤斎藤の「今だから、宅間守」を踏まえて、それを正面から「そうだ」と受け止めるのではなく、そこからずれていこうとする。そのずれによって、今、宅間守がいないということの意味、斉藤斎藤が連作で書こうとしたもの、たとえば死刑という制度の意味*4を、逆説的に読者に思案させる、そういう歌だとおもう。
「いまはもういない宅間守」の8音+6音=14音には、たとえば「いまもう宅間守はいない」の7音+7音に比べて、変だなあ、ずれているなあ、という感じがある。「そうだよ、斉藤斎藤は「今だから、宅間守」と書くけれど、宅間守はいまはもういないのに」、と鈴木の歌に同調するとおもう。宅間守は処刑されたのだ。2017年のわたしたちは鈴木のこの歌を読んで、そうおもう。
 しかしそもそも、斉藤斎藤が「今だから、宅間守」をつくった2007年時点においても、すでに宅間守は「いまはもういない」ひとなのだった。いまもういない、だからこそ宅間守、というずらしがこのタイトルにはあった。2007年のわたしたちは、「いまはもういない宅間守」という状況のなかで、逆説的に「今だから、宅間守」とおもわされたのだ。
 斉藤の「今だから」もまた、過去の事件を踏まえたうえで、それをずらした、あえての「今だから」だった。
 運動が繰り返されている。


 過去をふまえて、ずらすこと。
 口語類型化の時代のなかで新しいものをつくるためには、必ずこのような操作を行わなければならない。新しさとは既存のものとの差異であるからだ。
 鈴木の連作「感情のために」は(あるいは鈴木の近作は)、掲出したような本歌取り、あるいはサンプリング的な手法が用いられている歌にかぎらず、「過去」、あるいは「歴史」といかにして「ずれ」てゆくか、あるいは、いかにして「過去」や「歴史」と対決するか、を隠れた主題としているように感じられる。
 この「ずれ」の運動性に、ぜひ、注目していただきたい。


 評:三上春海



 文学フリマまでの間、「よい島」から、歌を紹介していきます。
 「よい島」をどうぞよろしくお願いいたします。



歌集 人の道、死ぬと町

歌集 人の道、死ぬと町

*1:以下、便宜的に口語と呼ぶ

*2:地方の歌会などではまだあるかもしれないし、一般的には、短歌といえば百人一首などの和歌的なイメージがつよいかもしれないが

*3:「今だから、宅間守」は昨年刊行された斉藤斎藤の第二歌集『人の道、死ぬと町』に収録されているので興味のあるむきはぜひ読んでいただきたい。

*4:一億三千万本の人さし指が宅間守の背中を押した(今だから、宅間守