稀風社ブログ

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稀風社は鈴木ちはね(id:suzuchiu)と三上春海(id:kamiharu)の同人誌発行所です。問い合わせはkifusha☆gmail.com(☆→@)へ。

稀風社の2023春(仮)

 ネットプリント「稀風社の2023春(仮)」WEB版を公開いたします。
 鈴木ちはねと三上春海の短歌連作(新作)を掲載しています。
 (記事後半には同じ連作を横書きテキスト形式で再掲しています)


『稀風社の2023春(仮)』1ページ目



『稀風社の2023春(仮)』2ページ目




石碑  鈴木ちはね



下りの道は先を歩いている人がときどきすごく下に見える

だまされて選んだ部屋でそれなりに暮らしているとすごい夕焼け

フィッシングメールが日夜巧妙になっていく秋の しつけ糸

わたしの箸の持ち方はどんなだったかわたしはときどき忘れてしまう

荻窪でいちど地上におりてからそれきり高架線の上だった


人生を何周したらこういう家に住めるのかを真剣に考える


レトルトのお粥を湯せんしてるとき換気扇が回っていなかった

再開発できれいになっていく街でわたしは少しだけ年をとる

この冬いちばんの寒気 東京は快晴 閉め切られている朝のドックラン

うすぐらいまま暮れていく一日の観葉植物のあるホール


最近はまいばすけっとによく行くのでまいばすけっとを見るとうれしい


通り雨 昔に比べて今のほうが過去がたしかに増えてきている

十五年で五回も引っ越しをしたのにそういう実感があまりない

石碑だね もうわたしたち石碑とかあんまり残さなくなっている

しょっちゅう変わるわたしの住所をどう思っていたんだろうか おばあちゃんとか


ありがとう いつかあなたが少しだけ屈んで拾いあげたその鍵を


わたしがよくさぼりに行っていたパン屋の壁にかかったモノクロの写真

公園のこんなところに鷺がいて三月がわたしをおどろかす

お花見の瞬間だけを切りとれば 思いだせない気持ちのようだ

にっぽんの中でわたしが呼ばれているわたしに持たされた番号で


たまに思う 中央線の中央は東京のとかではなく もっと大きく


かつてそこにレースのカーテンがあったように今では午後の光がゆれる

一月に切ったばかりの髪の毛がうるさくなって四月と思う

首都高の高架をくぐる いくつかの明るい部屋の時間の記憶

目に見えないものほど忘れてしまいがち アメリカ わたしたち ありがとう

ニュースではほとんど雨の一週間が予告されている 数秒間



Saturn/firefly  三上春海



三月もなかばを過ぎてわたしたち銀の竜頭をまわしわすれた

さまざまなくすりを服んで永遠のようにみじかい一年でした

冬の火のたばこのみつつかんたんにわたしはわたしをやめてしまえる

はちみつにしずむはちの巣 わたしたちのふくらみながらしぼんだこころ

きりさめのようななにかがふるともなくふっていてくるしい午後の夜

すいめんにゆれる幽かな木々たちよこころはこわれてからがほんばん

月光の(わたしがあなたの年齢のころにはすでにもう)齧歯類

錠剤はみなUFOのかたちしてかぞえるときにかすかにゆれる

イヤフォンをあたまのおくにさしているうさぎのようなまっしろな犬

たたまれたバスのドリンクホルダーのようにこころとからだがずれる

  *

どんぐりとわが子を喰らうサトゥルヌス

  *

つりかわにつかまれているゆめをみるながいことでんしゃにのってると

本がわたしの生活だった人生の数秒間の春の草花

はるになったら はるになったら白鳥とその友人はすがたをけすよ

もう夏はこないとしたらコンビニのアイスケースでねるこどもたち

うたわなくなったものから磔刑の青銅の風見鶏の素材

もうなにもうたいません、と文鳥にとても似ているこどもは告げる

ほしなんてひとつもない、と、ほしひかるよるをあるいているおとこのこ

方舟にのるさみしさや方舟をおりるさみしさ/想像をする

はるかぜのばらばら死体かもしれずハーモニカなる窓をくぐれば

  *

おにぎりとたらこをもらうサトゥルヌス

  *

まだ外はあかるい夏のマンションの共用スペースに灯がともる

硬貨ひとついれてもなにもうつらない遠望鏡のように月日は

自販機のちいさくほそいくらやみにのまれていった日本の硬貨

なつのひの休耕田にさわやかな水のながれているゆめのなか

電子レンジのなかで蛍を飼っている(ゆめ)あたたまることができない

わたしたちはゆめをみている(みどりの日)ひとりのこらずおわらないゆめを




 ネットプリントでの印刷は「2023/06/19 23:59まで」可能です。


 紙版が欲しいかたはこちらもよろしくお願いします。