海岸幼稚園特集第1・5回『短歌というトーテムポール』(情田熱彦による解説の解説)
「海岸幼稚園」に解説を寄せました、情田熱彦です。
俺の方からは短歌初心者に向けた記事ということで、題詠からはじめる短歌入門を書きました。こちら。
http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2014/05/02/205335
上の記事では書かなかったんですが、三上さんの歌についておまけ解説。
群れなして鳥と時代は過ぎ行けり鶴嘴島に初雪が降る
これ面白いのは、視点の切り替えなんですね。「群れなす鳥」でまず上空に視点が置かれ、「鶴嘴島に」で一気に地上へ下りてくる。そのあと「初雪が降る」で再びカメラが上空を向く。こんな感じの視点のふらふらさがおもしれえな、というのは実はかみはるさんの他の短歌、あるいは小説に、困ったことに批評文にも通底している点で、「海岸幼稚園」の解説にもそんなことを書きました。昔やったこの題詠を引っ張り出して、ああ三上さんはそうだよな、と懐かしくなってしまった。
その点で言えば、鈴木さんが「TVクルーが順光を捜している情景」を描くのもおもしろくて、俺がなぜか関西の女の子に憑依した歌を詠んでいるのも含めて、ああそうなんだよな、という感じです。短歌でもなんでも、こうやって人間が見えてくる瞬間がいちばんおもしろいなと思うんですが、そのへんについても解説を読んでいただければ。
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しかしつくづく、短歌ってのはトーテムポールみたいな芸術ですね。
よくわからない顔らしきものがボン、ボンと並んでるのだけど、それが何を象徴するのか、わからない人にはわからない。俺はいまだに、短歌というジャンルがふわ~んという感じで、歌集を読むと、幾つものトーテムポールがそこかしこ突き刺さっているイメージしか浮かばない。なんとなく魔除けじみているような、なんとなく惧れ多くて近づきにくいというか。
題詠の記事、書きましたけど、俺は短歌が得意なわけじゃないんですね。
で、そこにきて短歌の解説とは何をすればいいのか。たとえばトーテムポール1つ1つの模様に対して、「これは鳥や虫との調和を表している…」「これは天の神様への畏れを…」と逐一解説する方法もある。あるのだろうけど、違うな、と俺は思います。
あるいは部族の人間の胸ぐらをつかんで「これはどういう意味なんだ!言え!」と正直に吐かせたところで、トーテムポールの重要性がわかるわけでもない。それはよその部族の人間が、言葉にして理解する場合にはそう表現されるというだけのことであって、部族の中の人間にとってはちがうはずです。完全に了解可能になってしまったものには、精霊も神も宿らないので。
解説を書いてるとき、そんなことを考えてはなかったですが、いま思うとそういう気がしています。
そう考えるとしかし、文学フリマとはトーテムポール市場みたいなものかもしれません。多種多様なトーテムポールが市場に並ぶ、なんてこと普通はちょっとなくて、そのせいか僕は、正直あの空間があまり得意ではないのですが…
それはともかく「どんなトーテムポールが良いトーテムポールなのか?」という問いには俺はあまり興味がないんですね。そんなことより、そのトーテムポール立ててる村はどういう村なんだよ、とか、トーテムポールが実際、どんな役に立っているのかというところが気になってしまう。今回の解説では、視点を上空に移し、鳥瞰図のように村の様子を捉えられたらいいな、と考えて書いたような気がします。そうしてまた、トーテムポールの前に戻ってくると、なるほど見え方が変わってくる、みたいな。そうやって見方を変えた瞬間に宿る神があるとすれば、その一瞬に気づかせることができれば、批評としては成功なんじゃないか。
まあそんな解説を書けてたらいいな、と思います。別に歌集なんだし、ゼロ・グラビティみたいなスペクタクルがあるわけじゃなし、気楽に手にとってください。よろしくどうぞ。
(文章・情田熱彦)